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新舞踊と云うと、主に歌謡曲、演歌に振付をして踊る[歌謡舞踊]というイメージが定着しています。

大正期に坪内逍遥先生、小山内薫先生らが提唱された[新舞踊運動]は、伝統的な旧劇[歌舞伎舞踊]に対して、新規な感覚、視点からなる[舞踊家の”振付をし、演じる”]というスタンスを確立するものでした。当時はとても新鮮で様々な試みが行われたようですが、平成の現在となってはその当時の作品も[古典]となってしまいました。

私が幼少時代。歌舞伎も文楽も、能、新派、宝塚に至るまで[綺麗]な舞台に憧れて見続けていた頃…。これが古典で、これが新舞踊という視点では舞台を観ていませんでしたね。ただ、強烈に印象に残るのが、東宝歌舞伎の長谷川和夫先生の舞台。生のオーケストラの楽曲に、生演奏の長唄、鳴り物のコラボレーションで繰り広げられた劇中劇の[鷺娘]や義太夫の[櫓のお七]の艶やかでテンションの高い事ったら…。古典の[鷺娘]や[お七]では味わえない感動。それから美空ひばり公演での[車やさん]や[関東春雨傘]を唄いつつ踊るひばりさんの艶やかさは今でも忘れられません。

胡蝶が子供の時分、新舞踊は大流行した一方で[レコード舞踊]と云われ馬鹿にもされていました。あくまでも[古典舞踊]が素晴らしくて、[歌謡舞踊]は素人のお楽しみという位置付けでした。下町の踊りのお師匠さんなんか、[レコード舞踊]を教えるときは、ご近所にバレないように雨戸を閉めてお稽古した…、なんて嘘みたいな本当の話しもあるんですよ。

胡蝶も幼い頃から古典[藤間流]でお稽古させて頂いて来ましたが、[歌謡舞踊]も大好きでした。むしろ古典より魅力を感じていたと思います。

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森進一さんの[北の蛍]は胡蝶の新舞踊の第一歩でした。

子供の頃から愛してやまなかった古布、時代友禅を剥ぎ合わせた衣裳を仕立てて着用しました。

 

古典とは違い[決まりの衣裳]というものに拘ることなく、自由な発想で役柄を創作。衣裳、鬘はすべてオリジナルで演じる事が出来る事が、[創作]の最大の魅力です。

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これは[隠れ切支丹]を題材にイメージを膨らませて創作した[長崎、出島の遊女]という設定。軍服をヒントに胡蝶としては相当ブッ飛んだ発想で誂えた衣裳でしたが、大変好評でしたよ。

もちろん歌舞伎も古典舞踊もお勉強させて頂いておりますから、大好きです。そして、[歌謡舞踊]も同じく愛しています。

古典も新舞踊も[日本の舞踊]です。[古典が上で新舞踊が下]この偏見、何とかしたいですよ!んまったく。

古典舞踊が素晴らしいのはその代々の名人が受け継ぎ、磨き、改良に改良を重ねてきた演目一つ一つにあるのだと思います。決して、古典舞踊をお稽古なさっている方が偉くて、新舞踊を習っている人が[下]ではないのです。

とっても勘違いなさっている古典舞踊のお弟子さん方が多いのです。

技術の伴わない[古典舞踊]より[素晴らしい新舞踊]も世の中には沢山ある事を御理解いただきたいですね!

[素晴らしい古典舞踊]なんて、歌舞伎役者か、ほんの一部の一流の舞踊家先生だけで、世に蔓延している古典のお浚いでは[素晴らしい古典舞踊]は皆無。これが現実ですよっ!

これからも益々[日本の踊り・新舞踊]を多角的に御紹介しましょうね!

〔どんどん続く〕

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細川たかしの名曲[女のしぐれ]の創作衣裳。

​2011年2月16日

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