[如源]と書いて[にょげん]と呼びます。
これはアンティークの黒繻子の帯地の垂れ先に見られる、当時の織元のいわばブランドのロゴ、シンボルマークの様なものです。明治から昭和初期にかけて、[昼夜帯]という、裏表の素材、色柄の違った生地で仕立てられた、いわば[リバーシブル]の帯が大流行していました。片面は友禅や型染めといった染め物が多く、裏は黒繻子というコントラストで、昼の明るい友禅に対して、暗い夜を黒繻子にたとえて[昼夜帯]と呼びました。別名[腹合わせ]ともいいます。この昼夜帯の繻子裏として特に花柳界、粋筋の女性の人気を集めたのが[如源]の黒繻子です。実は、私胡蝶は子供の頃からの[如源フェチ]であります。如源を目にすると我を忘れて頬スリスリ…、抱きしめて、撫でたくなるのです。如源裏の帯の収集数知れず、如源研究の第一人者を勝手に名乗っております。そこで[胡蝶和もの部屋]の第一章は[如源]の源流を語らせて頂きましょう。
実はこの[如源]なる繻子地は中国産でした。中国の絹織物は、日本の絹織物より糸が細く、しなやかで繊細な光沢が特徴でした。そこで中国渡りの[支那繻子、チャイナシルク]として当時、舶来の帯裏として珍重されました。中国も帯裏としてしっかりとした張りも必要との事で、経糸に綿を使ったものもあり、横糸はしなやかな漆黒の絹糸で、日本向けの輸出品として完成度が高まっていきました。ですから、如源裏の昼夜帯には、それなりの凝った、上等な表地との組み合わせのものが多いのです。
胡蝶の愛する帯の垂れの織り出し部分に、堂々と[如源]の二文字、その右に朱の印の織出しは[金錂]の文字を唐草で囲んだデザインを浮き織にして、左に[認明天益王鶴壽製]の云われ書き、二本の織止め線を赤玉虫で通してあります。この、金錂の朱印が黒の艶に映える事から、粋筋の方に特に好まれたものと思われます。粋筋の方は、黒の繻子の丸帯で、朱の織出しのまま喪服としても、当たり前のように〆めました。黒喪服に、お太鼓タレの朱が映えてそれはそれは古風な色気を醸し出します。ちなみに私も喪服にでも〆めてますよ。如源の繻子は、中国で昭和初期まで、日本向けに生産、輸入されていました。その後、日本の老舗[龍村]が、国産の繻子裏として如源の織出しをつけて生産した時期があると、龍村の御子息から伺った事がありますが、かえって龍村製の物が、変に仰々しく高級品となってしまい、昔ながらの支那繻子としての中国産の方が値段等の面も含めて使い勝手が良かったらしく、龍村は日本製如源の生産を止めてしまったようです。ですから、現在リサイクル等でたまたま入手出来る如源の帯は、百年近く昔に造られたものばかりです。
[※昔の文体ですから実物は[源如]とありますが[げんにょ]ではありません。]
如源これは歌舞伎の勧進帳の弁慶の衣裳で造った弁慶格子の如源昼夜帯。お気に入りの一本です。
話は尽きませんが、二之巻以降もお楽しみに。
2010年11月28日